主任司祭のご紹介

- Introduction Of The Priest -

スダーカル・ヌカポグ神父

 皆様、はじめまして、私はスダーカル・ヌカポグと申します。

インドから参りました。私は PIME というミラノ外国宣教会の司祭です。

2021年4月、秦野教会の主任司祭として着任しました。

 1855年、私の生まれたインド南部にPIMEの司祭がやってきて、福音宣教奉仕をしました。

私の祖母は、宣教師の言葉を聞いて、洗礼を受けて、信者になりました。

祖母はいつも宣教師について私に話をしてくれました。

私はその話を聞いて自分も宣教師になりたいと思うようになり、神学校に入って勉強を始めました。

また、大学で勉強しながら、孤児のために働いたり、親たちがいない子供達のために奉仕しながら、

愛のことを深く理解できるようになってイエス様に従う気持ちが強くなりました。

 そして、イタリアにも行って勉強を続けました。2015年に宣教師になって、日本に来ました。

宣教のために、日本に来るのは本当にうれしかったですが、

最初は日本語や日本の文化、食べ物などについて、どうなるかなと心配していました。

でも、神様の恵みで、少しずつ慣れて来て、安心できました。

 インドの習慣によると、

「私たちの人生の中で大事な日は二日あります。最初の日は私たちが生まれた日です。

なぜなら、この日は神様から命をいただいたからです。

次の日は、私たちが人生の目的に気づいた日です。」

この日は私たちが司祭になって自分たちの生涯は、

他の人のために尽くすのだと決めた日だと思います。

福音の実りをもたらすのは神の恵みです。ですから、神様に任すことが必要だと思います。

私たちも自分たちの信仰を新たにして神様を信頼して福音を宣べ伝えることは大事です。

 ある人と話している時、こう言われました。

「神父様、遠い国から福音のために日本に来てくださって本当にありがとうございました。」

私はこの言葉を聞いて心の中で、神様に感謝をしました。

信者さんが私に語ったこの言葉について一日中考えました。

正直言うと私が福音のために日本にきたのは神様からの恵みです。

また、聖パウロのコリントの教会に書いた言葉を思い出しました。

「主は、福音をのべ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。

もっとも、私が福音を告げ知らせても、それは私の誇りにはなりません。

そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです」

(1コリント9章14節と16節)

この言葉は私の励みとなっています。皆様は教会の宣教活動のあらゆる分野において、

それぞれの状況に応じて洗礼の約束を完全に果たすように祈りましょう。

 今までの私の人生を通して神様は多くの賜物を与えてくださいました。

その中でも一番の宝物の「信仰」です。

これを皆さんと分かち合いたいと思っています。また、主任司祭として、みなさんと一緒に、

神様の導きを信頼して生きられますように、

そして、お互いに信仰を分かち合って、生きられるようになりたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。